「音楽に恋してる」について
 
 2005年のスモールサークル。多摩川沿いのこじんまりしたスタジオで、あーでもないこーでもないと潤子さんとバンドのメンバーが一緒になって作った作品です。スタジオ近くの堤防で歌ってもらったり、住宅街で自転車こぎつつチリンチリンと鳴らしてもらったり。とてもアットホームなレコーディングは僕自身心の中の特別な場所に置いてあるいい思い出です。
 あれから4年、今回はスモールサークルの延長でありながら、さらに進化させたものに、というざっくりしたコンセプトがまずありました。今年3月11日の第一回ミーティングに僕が持っていった曲は6曲、すでにステージで演奏している「あかり」「あったらいいなと思うもの」「どんどんどん」「ヒトイロ」に加えて新曲「人って不思議だ」「ほっとな関係」。プロデューサーの新川さん、レコード会社の担当者、潤子さん、マネージャーさんらが参加したこの日のミーティングでは、まだこれでは足りない、ある意味下世話な要素もいる、という話が新川さんからでました。スモールサークルは直球だとすると今回のアルバムには変化球もいれていかないと、ということ。正直言って、潤子さんに歌ってもらいたいという曲の作り手はゴマンといることでしょう。潤子さんのキャリアにゆかりのある大作曲家、ビックなアーティストも然りだと思います。今年は40周年ということもあり、そういう人たちに曲を書いてもらったらどうか、そのほうがセールスも期待できる、という思いはレコード会社にしては当然の考え方。でも、潤子さんは「身近に歌いたい曲があるから」と僕や金武くんの曲を押してくれました。これはとても有難く光栄なことでしたが、同時に責任の重さも感じました。でも僕らの曲を選んでくれた理由はもうひとつあるのです。それは「遠慮なくボツにできるから」。実は、こっちのほうが比重は大きかったりして(笑)。潤子さんの曲に対する考え方は、潔いほどはっきりしています。歌いたいか、歌いたくないか。そこには歌い手としての凛とした姿を感じます。潤子さんはひたすら頑固、そしてせっかち(笑)。
 ミーティングはこのあと何回も続きました。金武くんと彼の友人のシンガーソングライター大久保理くん、新川さん、吉川忠英さんらが曲を書き、数曲には片岡桂さん、山田たかしさんが詞をつけて世界を作っていきました。こうしてどんどん曲が潤子さんめがけて集まってきました。僕も追加で曲を提出しました。もっと下世話にという指令を、持ち前の変態性を発揮できると勘違いし、「井川、パンツ見えてるよ」と新川氏に指摘された曲もありました。つまりはストレートすぎるということなのですが、何回か新川さんにこう言われると次第に腹がたってきて、パンツは見せパンじゃ、と心の中で思ったりもしました。でも、新川さんの適切な舵とりで曲の添削が施され、どんどんブラッシュアップされていったことは間違いない事実です。
 こうして集まった24曲をデモ録音という形で、新川さんのスタジオで順次録音していきました。いわゆるプリプロというやつです。そうして集まった候補の中から、半分はスタッフの総意で、あと半分は最終的に潤子さんが選び12曲が揃いました。僕が当初持っていった6曲から選ばれたのは結局「あったら~」だけでした。プリプロしていくうちに潤子さんの心の中に、アラカンや40周年という概念など軽く吹き飛ばす、とても若くたくましいものが芽生えていったのではと想像しています。つまり単なるうしろ向きの曲というものがないのです。心の痛みや喪失や迷い、これは人が生きていく上ではつきものです。これらを歌っても潤子さんはけしてうしろ向きにはなりません。それらをしみじみ味あわせてくれて、むしろある力を感じさせてくれる。今回の潤子さんの歌声からは、世代や性別を越えて何かしらの手ごたえを感じてもらえるのではないかなと思います。
 新川さんの発案で、レコーディング前には異例のリハーサルが三日行われました。録音当日にいきなり譜面を渡されてこんなもんかと音を出すのではなく、バンドの音を作り込んでからレコーディングに臨もうというオーガニックな発想です。今回のメンバーは、ハイファイのデビュー&2ndアルバムに参加している林立夫氏、ハイファイの初期サポートバンド「ガルボジン」への参加がプロデビューとなった松原正樹氏、ハイファイ後期のジャジィな時期に活躍したベースの加瀬達さん、そして潤子さんとは長い付き合いの新川氏という強力な布陣です。6月23日、世田谷のリハーサルスタジオに、メンバーひとりひとりがにこやかに集まってきました。このときから、「音楽に恋してる」は、少しずつ形作られていきました。
 
では各曲についてすこし書きます。
 
音楽に恋してる
潤子さんがオン&オフステージで幾度か口にした言葉と、今回のレコーディングメンバーをだぶらせて作りました。現在進行形の潤子さん、そして久々に潤子さんのもとへ集まったメンバーの気持ちは、同じく「音楽に恋してる」だと思います。そしておそらくは聴いていただくみなさんも。
 
きらりきら
潤子さんの歌声を聴いていると、風が吹いてきたように思うときがあります。ここではかなり強い風、それも向い風です。
この曲の鬼気迫るギターソロは松原正樹さん。さださんのツアー中、九州で怪我をし入院、退院後、東京に帰ってまだ数日しか経ってないときでした。怪我した足を椅子にのせて、ひとつのはずれもない入魂のプレイはさすがでした。
 
Restaurant du ciel
フランス語でスカイレストランの意。かの名曲の続編は、あのレストランを主人公が再び訪れることから始まります。あの時代は、ただきらびやかな夜景を夢見ごごちで観ることができました。あれから数年、はたしてあの夜景はどう目に映るのでしょう。時間の経過に人の心はどう変化していくのでしょう。下世話な詮索心をかきたてて聴いてください。なにより潤子さんのどろどろしたボーカルも聴きどころたっぷりです。ひとつひとつのことばの歌いっぷりをじっくり味わってみてください。
 
金曜日の夜は
海外TVドラマで映画にもなった「Sex and the city」がモチーフとなった曲。さすがは付き合いの長い新川さん、潤子さんにぴったりはまるメロディラインの曲をさらりと書き下ろしました。ハイファイファンはイントロに「美術館」を感じた方もいるのでは。アラフォーの女性の気持ちを彼女たちより世代的にはちょっとおねえさんの潤子さんが歌うのですが、同世代とも思える瑞々しい声は女性の迷いと強さを見事に歌いあげていると思います。「傘の花が咲き始めてる~」から世界がぐっと広がり、景色が浮かびます。潤子さんを日々傍らで支えるマネージャーさんも参加した女性コーラス隊は潤子さんの作品には珍しい彩を添えています。
 
ある晴れた日に
別れは辛いものではありますが、別れてしばらくすると、一緒にいたころより少なくとも心は安定します。すったもんだあったけれど振り返れば、いいとこあったなあいつ、と雲の流れでも見ながら思い返すのも、別れを経験した人ならではの贅沢な気分ではないでしょうか?と負け惜しみ。のびやかな潤子さんの歌声がたまりません。あきらかに普通ではない林さんのドラムにも注目!甲子園の応援団たいなフレーズもでてきます。
 
あったらいいなと思うもの
ステージではすでにやっている曲ですが、なにしろスカスカな曲なので、いつも心のどこかでハラハラしながら演奏してた気がします。でも、今回はさすがツワモノたちの演奏で、ゆったりした雰囲気になってます。間奏の加瀬さんのベースソロがとてもあったかいです。
 
町はずれ
デットな潤子さんのボーカルが、曲想のこじんまりした世界をいっそう身近なものにしてくれてます。これはデモで録ったものが歌、演奏とも、そのままOKテイクになりました。ベース担当の僕のギターはハチャメチャですみません。全体的に若いカップルのほんわかのんびりした新婚生活という雰囲気が漂ってますが、「私の靴下はどこへおいたっけ」という奥さんのことばに、年齢状況が一気に混沌としてきますので、そのへんも楽しんでください。
 
茜空
潤子さんは、プリプロ中に愛犬タマを亡くしました。茜空の「君」にタマを見たときから、潤子さんの中で世界が広がったと聞きます。聴く人それぞれ、茜空に誰を思い浮かべるのは誰のことでしょうか。
 
ふと気づけば
「同じ色の絵の具を何度も塗る」というフレーズがでてきます。これが日常というものなのかもしれません。日常の中の、時の流れはときに耐えられないほどに長く、ときに信じられないほど早く短く。「ほんとうの答えなんて何処にもないんなら~」という潤子さんの歌声がかなり胸にきます。ステージでの潤子さん一人弾き語りバージョンもぜひ聴いてみてください。
 
春の日
個人的に振り返ると、春はリセットの時期であまり好きではありませんでした。多分、新しいことがそう好きでなかったり、新しく出来た人の輪によそいきのような雰囲気を感じたからかも。でも、年齢を重ねると春というのは、自分の老いと向き合う季節のようにも感じます。春がひとつきたら、ひとつ自分は年をとる、というような。春のうららかな陽だまりは心地よいけど、寂しさやはかなさもこれからいっそう強く感じるようになっていくのかもしれません。そんな春の両面をこの曲は感じさせてくれます。せつせつと訴えかけるような、心の叫び。潤子さんの歌声がせつないです。
 
トゥインクル
金城くんが書いてきたこのメロディを初めて聴いたとき、まずなにか異国的なものを感じました。それもヨーロッパのどこかの。それから夜空に瞬く星を思いました。星というのは、空に一面に張り付いているように見えますが、奥行きを意識してみると、すぐとなりあわせに見える星だって、それぞれがすごく離れていることに気づきます。人と人も、ごく近いようですごく遠いのかもしれない。個人的にセンチメンタルな時期、演奏で訪れた水俣の旅館のがらーんとした部屋で夜ひとりこの歌詞を書きました。(どかがヨーロッパやねん)
 
そのまま
午後のお茶のひととき、FMから流れてきたら心地よいだろうな、と思う曲。心地よいひだまりのイメージがあるのです。こういうイメージで日々過ごせたらいいだろうな。洋楽の洒落たテイストがあるこういう曲をさらっと素敵に歌えるのは潤子さんならでは。エンディングの新川さんのエレピソロを評して、林さんが録音後に「新ちゃんけっこう語るね」と言ってましたが、その林さん、実はエレピに対応して唸りながらドラム叩いてます。こうして、メンバーが楽しかったねと語り合いつつ、潤子さんが頷き微笑みつつアルバムは終わっていきます。