コードアンノウン  00年フランス

 

 オーストリアの監督、ミヒャエル・ハネケ。名前もヘンだが、作品も十分ヘン。この人の映画にハマっている。ハネケ映画には、人間を、ただウォチングするという冷静な目線が基本にある。そこには善悪の立場はない。ただ人がいて、それぞれがなんやかんややっているという日常の営みが描かれている。したがって、なんでもない(と思える)シーンをただ見せられたりすることが多々あるが、それが無性に怖くなることがあるのだ。(この映画では地下鉄車内のシーンが怖かった)それは人の群れが作る社会に常に潜む狂気のようなもの。

 

 さらに、ハネケ映画には、人種間の差別、人と他の生き物(主に家畜)との差別、といった人社会の持つ本質的なエゴをいきなりポーンと白日にさらすようなシーンが多い。すなわち家畜が唐突に屠殺されるシーンがいきなりでてききたりするから、見ているほうにしたら油断できない。そういう過激なシーンを目にするのは好まないが、人のエゴ、本質というものを考えさせてくれるのでこの人の映画が好きなのだ。


 死ぬことは主観的には不条理だけど、客観的にはしごくあっけないあたりまえのもの。そこには意味がなく、何かのあやみたいなもので死はいつだって起こりうる。そういった命の脆弱さを背中にいつも抱えながら人は日常をすごしているのだが、ハネケ映画を眺めていると日常というのは、どうでもいいようなことがらに神経を磨り減らしているだけのもの、の如く思えてくる。それでも人を含めて生き物は、生まれてきたら生きていくしかない。まさにこれは本質そのもの。そしてその本質を見ていると、生き物の営みはときにアホらしく、ときに愛おしく思えるのだ。言葉を変えれば、アホらしく思えるときには日常に恐怖はない、逆に愛おしく感じたら生きてること自体が怖くなる、そんな気がする。

 「隠された記憶」「ピアニスト」「タイム・オブ・ザ・ウルフ」「ベニーズ・ビデオ」ときて、さてこの映画だが、これまで観たハネケ作品で、一番難解というか、脈絡のない展開。登場人物たちの営みをぶつぎり状態でこちらは眺めているだけ。しかし、こんなストーリー作りましたけど、という映画の虚偽性をまったく感じることなく眺めていられた。ハネケの映画は飽きない。