「ベベウ」

ジョアン・ジルベルト/三月の水 収録

人生は、気持ちの持ちようだと思う。生きていること自体、辛いと思えば辛い、有難いと思えば有難い。そしてこの気持ちの持ちように一役買うのが、音楽。お好みの音楽を聴きながら自分の人生を俯瞰してみれば、どんなことも肯定できるような気がする。そうすることで救われてきたし、人生も楽しめてきた。日々の暮らしがいじらしく、いとおしく思え、全部ひっくるめて素敵やね、というイメージを音楽は持たせてくれる。

といっても、気持ちがどん底のときには、音楽は経験上役にたたない。では、臨終のような瀬戸際にはたしてどうなのか?臨終時というのは気持ちがどん底というのとは、ちょっと違う気がしているのだが、そのときに音楽ははたして受け入れられるのか?
たとえば、鳥や魚の世界に音楽はない。あるのは自然の音。人間だって生き物の一種には違いない。その生き物としての根源的レベル、つまり生きるか死ぬかというときには自然の音しか受つけないのかもと思ったり。

それはそうなってみないと分からないとは思う。思うが、いつか臨終を迎えるそのときに、頭の中で鳴らせるなら鳴らしたい、と一応準備だけはしてある曲がある。それは、そのときに自分の人生を心地よく俯瞰できそうな曲、という意味合いを持つ曲。

ちょっと前までは、その第一候補は、ハンコックとスティービー・ワンダーの共作「CHAN’S SONG」だった。でも今はそれがこのアルバム8曲目の「ベベウ」という曲に変わった。どちらも歌詞はなくスキャットの曲。そのほうが回想するには都合がいいのだ。ただ前者のボビー・マクファーリンの声がちょっとアップダウンがきつくポルタメントもかかってクドいので、ジョアンのぼんやりした声のほうがいいなと思えてきたのだ。
この曲を聴いていると、陽だまりを思う。すりガラス越しに光があたっている、そんな感じ。幼少から老年までどの思い出にもよくマッチする。すこし遠くから聞こえるジョアンの声(銭湯の雰囲気もすこしあり。「石ケンとって~」って言ってるみたい)が走馬灯をからから回してくれる。いろいろあったな・・・おおきに・・・、と人生を終えられそうな気にさせてくれる。

ボサノバという音楽は、風が気持ちいいですね、あなたのこと好きですよ、という単純命題をとつとつと歌ってることが多いと思っていたら、このアルバムタイトル曲「三月の水」はシュールなことがらを箇条書き的に歌っていて粋だ。だいたいが歌とギター、それにパーカションという編成自体がすごくすごく粋だ。いつか作りたいなぁ、こんなアルバム(JTに引き続き)。
7曲目の「バイーア生まれ」という曲はすごくグルーヴがあって大好き。2分音符だけのベースをたんたんと刻むガットギターが気持ちいい。1分30秒あたりで、コード間違えてるけど、それをものともせずOKテイクにするってのも、最後突然のエンディングにシェイカーがついていけてないのも、いいなぁ。よかったらええねん、ってことですね。
数あるジョアンのアルバムの中で、声もギターがこれが一番好き。

なんにしても、いざ臨終のときに、パニクって、ここに書いた内容を完全に忘れてしまわないことを祈りつつ。