仕立て屋の恋(1989年フランス)

 

主人公にちょっと似てるね、と言われたのがきっかけで「善き人のためのソナタ」を観た。で、観終わって「仕立て屋の恋」のことを思い出した。この二つの映画、似てるのだ。盗聴(覗き)、主人公のキャラとその屈折した思い、娼婦の登場、ヒロインの色仕掛けによる工作、などなど。

で、あらためて「仕立て屋の恋」を観てみた。
寡黙で人付き合いの悪い男の日課は、自宅向かいの建物の階下に住む女性の部屋をクラシック音楽をかけながら眺めること。カーテンをしめない女性の無防備ぶりにまず驚く。白色電球のような男の顔が向こうの窓から浮かび上がって、いつもこっちを見ているというのに、なぜかなかなか気付かない。だいたいが男は顔まるだしで覗いているのだ。普通ならカーテンに穴あけたりして覗かないか?ダンボールでもよいが。どこかに自分に気付いてくれという思いがあったのだろう。結局ある夜、雷光に照らされた男の顔に、女性が気付くのだが、このシーンがかなり怖い。
そして、その覗きの相手である女性がある日いきなり尋ねてくるのだが、この男はわりと冷静に話していて立派だ。「善き人のためのソナタ」でも、主人公が盗聴相手と飲み屋で出くわすも、伝えるべきところは伝えるちゃんとした話し方をする。両方の映画の寡黙な主人公はやるときはやる、話すときは話す、タイプなのだ。余計なことを話さない人はテレビの無い静かな部屋みたいでいい。ふたりとも服装はきちんとしているし。


女性に列車の切符を渡し、一緒に暮らそうと思いのたけを語る男。「今、すぐに好きになってくれなくてもいい、あなたのペースでいいから」と。この時、女の立場で観ている僕はかなり説得されて、男との暮らしを思い描く。この男、ボーリングが上手いのだが、投げ終わったあとの仕草がやたら可愛い。その可愛さだけでやっていけるかも、と前向きに思ったりする。でも、ペットのはつかねずみに対する仕打ちがあきらかにヘンなのを思い出し、やっぱり却下。女性は最初から却下が決まっていた?のみならず、残酷にも男に罪をかぶせたりする。
しかしこの仕打ちに対し、男は女性のためになるならと、逆に本望と思ったに違いない。見返りを求めない愛は終わらない。「善き人のためのソナタ」のラストの書店のシーンにも同じものを感じた。二本の映画ともラストシーンで主人公はある意味報われたのだ。